『ドクトル・ジバゴ』映画を鑑賞した感想

外敵から国を守るため、国、国民総動員で守る必要があります(守る責務があります)。軍を乱すような“奴ら”の存在は、国を滅びる方向へ追い詰めていく、若い兵士たちに家に帰るよう促しては、軍の長官を目の仇に見なして、指揮の座から無情に引き下ろして、残酷なまでに低俗な”歓声“を上げた。

正義の名を掲げて、緊迫した国力、すぐ近くまで敵軍が迫っている状況、そのさなかにこのような行為に及んだ場面。

偏った“思想”によって、社会が機能できない状況までになり、言論の統制、罪のない人たちは粛清されていく。抗えない世界になっていく。

市民を護る警察、行政や国家自体は指揮態勢が保つことが出来ない。権力と腐敗により国民に暴挙を振るっている。困窮な生活に強いられた市民たちは、無力の中で日々を過ごすようになっている。真冬、家族を護るため、生きるため必要な暖房用の薪を無許可で取っていた主人公、そこに法の秩序の壁があった。混沌と無秩序の中、「法」だけが高く掲げられている。

「法」を盾に公的の機関の名目を使って、人の家や家財を奪う。没収する権利があると堂々と言い切る連中。勉学に励みあらゆるの努力をして得た財産、心を織りなして重ねてきた年月の結晶。連中らにはどう言う権利、権力があるのでしょうか?奴らは単調で無知、思考する頭脳もない。欺瞞しかない。

時勢を利用し、横行する。僅かな権力をも最大限に利用する。大事な子供や家族は奴らにとっては人質です。親は子供により良い環境と願って、奴らに翻弄されていく。先が見えない中、普通に暮らしている人々、幸せに暮らしている家族、日々歪んでいく世界に人々は逃げ惑う。家族と離散した人たち、その行き先を知る術もない。小さい子供が親とはぐれる。悲しい現実に誰かに手を差し伸べてほしいと言う思いで見ています。

代々受け継がれてきた家宝の楽器、本来、家の中に大事に飾られ、時には弾くこともあろう。戦時下において少しでも安全な場所へ、また強制的に他の地へ移住させられる場合があります。限られた物しか、大事な家宝を持って移住せざるを得ない状況。その大切な宝物の楽器は、時が過ぎその家の子孫の手に渡り、重みのある楽器は混乱期を経て音色は奏でることは出来る。

大事な楽器を持ったはぐれた子供は、母親の行方も分からない、父親の事も分からないまま生きてきた。心を思うと律して生きてきた月日を、人に語る事はないだろう・・・と思っています。

長編の『ドクトル・ジバゴ』の映画を3回に分けて鑑賞しました。感想は綺麗なカフェ店や自宅で書きました。

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